結論が苦手
話すことが好きなのです。
友達いないのに。
何か。話す時に。強弱あれど起承転結があるわけで。
起。普段からボケ〜と何かを考えていたら出来るので悩んだことはないです。大抵みんなそうだと思いますが。
承。話を進めるというか。道中部分。まぁこれは話が下手じゃない限り当たり障りないところですね。
転。急展開の部分。一般論からの自論とか。主張とか。ない時が多いかなぁ。
結。これ。本題。一番苦手。本当に厳しい。
話の8割程度がどうでもいいと言うか。たわいもない与太話なので。オチが基本ないのです。
ちなみにwikiより。
起: 歴史や人事を題材とし、比喩や連想から詠み始めることにより、様々な展開が出来るとする。
承: 「穏健」に作るべきであるとし、突飛、露骨な句であったり、反対に平板であったりすることは避けるように主張している。
転: 読み手を驚かす変化を入れるよう求めている。ただし、「転」の句は、「承」のそれと表裏一体であり、別物であってはならず、互いに応じ、互いに避けるという一貫性がなければならないとする。
結: 「言に尽くる有りて意に窮まる無し」とし、適宜にフェードアウトすることにより、「含蓄」という詩作の目的の一つを達成できるとしている。
そして俺の常套句は。
「〇〇ってさ俺はやっぱし、そう思ってしまうんだよね。だからさ、その、うん、なんていうか、あーいやちょっと、うーん、まぁ結局俺が悪いんです。死にますハイハイ。」
大概終わらせ方はこれです。何でもそうです。結局そういったこと考える自分が悪いんだ。と思わせれば。
大抵相手は面倒だなぁ〜。なんて思っているため。まぁでも根本的解決にはなってないんですけどね。そう言う時は自分の宿題にしてるんですが。難しいもんです。
それと他に。緩い会話だとか。バッチバチの討論など。そういったものって親近感とか上手さ。納得させるナニカが多い方に同意を求めるものだと思っていて。
答えのない議論なんて所詮口達者な人が勝つわけで。だからって勝ちたいわけじゃないのです。
なんなんだよっ。何が言いたいんだよっ。
そう思ってるでしょう。
いや俺が聞きたいわっ。
例に挙げるとすれば。
死刑廃止論とか。学校の制服の話とか。ディベートみたいな。何かの議題にあがりそうな話。
ただし。結末もとい結果が出ておらず。もし論が完成されたとしても。反にも正にも。どちらに転んでも問題ないような。ある意味面白みのない論題。
「正直、制服が無くたっていいじゃないか。」
「いやいや、イジメが起こるかもしれない。」
正味。これらのような。‘いわゆる論理’と俺は名付けていて。それらはもう出尽くしていると思っていて。それらを皆にどう納得してもらえるか。肉付け作業が上手くいけば。それは勝ち。だと思っています。
だって結論はないのだから。仕方ない部分の典型なんじゃないかなぁとも思います。
話を元に戻すと。俺は口下手な人間なので。自論を展開したとて。相手は間違えていたとしても。いわゆる論が破綻している。と思わされてしまったら。実質殺されたも俺の中では同然なのです。
要は。結論を出してしまうことが。ただ単に怖いだけです。それだけです。
それに俺は脱線が多いのです。色んな例え話で。どうにか理解してもらいたい。共有してもらいたい一心で。
まぁ馬鹿なので。最初の。何から始まった事なのか。全然覚えてないのです。だから言いたいことすら見つからない。そんなことが多いです。よく言いたいことも。伝えたいことも忘れる。会話向いてないんじゃないかなんて思う時もしばしば。
それに。いつの時代も同じ結論には辿り着かないのです。何センチか。はたまた何キロメートルか。ずれた答えに辿り着きます。
俺の中では当たり前中の当たり前で。
それはそうでしょう。だって流れも気分も環境も。全てが微妙に。また大袈裟に。かつ素晴らしく変化するから。同じなんて有り得ないです。
全ては相手のポテンシャル任せ。
相手がダメなら自論もダメに。
あれ?俺もしかして会話苦手?