ハットの日記

いただきました。

なんて事ない事ないことごとく

疲れているので。途中理解できないかも知れないですが。無意識に記した事なので。許してください。何かの足しになれば。面白いかと。

 

 

 

 

 

 

 

 

素晴らしい人。周り見渡してみたら沢山いるのです。クソ野郎にも半端もんにも。全体の8割がどこから見ても。何から見ても。最低だったとしても。他に絶対僕が持っていないものを持っていて。それは誇るかどうかは置いておいて。やっぱりいいなとは。素晴らしいと思うのです。

 

 

でも。なんでそんなこと思うのかと。結局素晴らしさの思考は。何かと比べての発想なので。アイツと彼奴と。なんて比較する事もあるとは思いますけど。結局やっぱりいつも総じて僕と照らし合わせている訳で。

 

 

そう考えてみると。僕は一体何を持っているというのでしょうか。いつも苛まれます。

 

 

ナニカに対して。

十分な努力を注ぎ込んだこともないです。

燃えるように恋い焦がれることもないです。

熱く取り組んでみたこともないです。

限界まで曝け出したこともないです。

原型を崩壊させることもなく。

傷つくまで批評したこともないです。

 

 

今までの。今までのしてきたナニカ。作り出してきた言葉。など。何の意味があるのでしょうか。意味はないのかも知れないです。でもそれにすら意味を持っているんじゃないかと熟考して。段々とそんなことすら。仮の答えすら用意できない自分に苛立って。どんどん卑屈になって行くのです。

 

 

いいことだと。思ってはいないです。でもそれ以外知らないし。それ以外クソだと。雑に言えばそう思います。何事も。僕は一度始め受け留めるのです。そこから吟味をして。いる部分だけ取り除いて。そこら辺にぶん投げるのです。

 

 

自分の事を。自分が一番知っている。どこかの馬の骨の。名前も知らないような人らしき方が仰っていました。本当でしょうか。それを知っているから。自分は周りより上なんだとただ。謙遜や卑下とは名ばかりの自慢にしか聞こえないのです。

 

 

僕は。自分の事をほとんど知らない。知らない間。のうのうと生きてしまったのです。みんながみんなそうだとは言わないけれど。でもみんながみんなそうならば。だからいいって訳じゃないし。

 

 

疲れるから。完璧主義ではなく。ただ人として。人と戯れる時。人と会話する時。人と何かを共有しようと努力する時。流石に少なくとも自分の事を8割以上は普遍として。自分の常識を携えないと。失礼で。上の空の会話になってしまうのです。

 

 

だから僕は。人間に成りきれていないし。出来損ないの人間だと思っています。そんな僕が。話を合わせるだとか。誰かに付き合うとか。全部烏滸がましさすら感じてしまうのです。たまにうまくそう生きれた時。喜びは煌びやかな星のように。僕は裏で隠れて嬉しくなっています。

 

 

だからでもまだ1すら作れていないのです。まだ0.000‥‥1。その程度。

謙遜とか差っ引いても。僕には何もないのです。だからこそ。淋しいからこそ。色んなものに興味を持つのです。ただ。疑いの目から始まりだけで。

 

 

よく。何を根拠にしているのか。やたら自信ありげで。そこら辺を歩いている人がいるのです。僕には一生出来ない事です。僕は。辟易する。何かを。小さくてもいい。何かを。成し遂げている人は。乗り越えておる人は。そういう表情は出来るんだと。僕には次元が違う。そう思います。

 

 

これらが悩みなのか。なんなのか。別にどうでもいいのです。これを僕は。いつか。数学でも。日本語でもなんでもいい。完成させて自分だけでも理解できるような。そんな人間になりたいのです。

 

 

しょうもない。くだらない。言われたって仕方ない事です。そう思う方は。シンパシーがない方は。興味がないか。そういう事を一度も感じたことのない。無神経でズボラ。人に迷惑振りまいていると。なんとなくそう思ってしまいます。でもきっとあなたは否定するでしょう。結局一緒じゃないですか。あなたは気づくのが怖いだけなんじゃないですか。薄々わかってるかも知れないです。

 

 

表現できないナニカ。これと一生付き合って行くのです。正味。いい気がしないですでも。心はきっと踊ると思います。なんとなくですけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フィクションです。全部妄想です。嘘です。