何故だか拍手が好きじゃない
好き嫌いは分ける方で。気になれば理由も詳しく。なんてことをのべつ幕なし行っていたり。そこで見つけたのが。
「俺、拍手しないなぁ。」
そもそも拍手とは。
- 手が自由に扱える
- 手を叩くことに意味を持った時
が必要十分条件な訳で。
喜びや感謝など。負のようなものでない感情に対して。その思いを伝える手段の一つのようです。また。行うためには。少数対多数つまり大勢の人たちの前で少数の人たちが何かをするという状況が必要らしいです。
なんでも夏目漱石の「坊っちゃん」にそういった描写があるらしいです。(読んだことあるんすけどね...覚えてないです。)
要約したらば。こんな感じですかね。
...いや待て。これは日常の拍手の生まれ方であって。自分的には必要性が欲しいのです。
そこで他サイトを模索してみたら。どうやら他の読みがあるみたいで。かしわで。とも言うわけで。ただの手を叩くやつとはどうやら違うみたいです。
どうやら昔。魏志倭人伝が書かれている頃くらいからあるみたいです。昔なんでやはり。神に対しての行為らしく。また挨拶をする際に拍手を打つことは。手の中に武器を持っていないこと。故に敵意のないことの証明。もとい相手への敬意をあらわしたという説があるらしく。
しかしこのかしわで。海外からの輸入品らしく。(ソースが知恵袋なのでアレですが。)
明治時代の文明開花の際に加わったそうです。そもそもが良いわけでなく。失礼な行為だったらしいです。
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/1650617/p021.pdf
とまぁギリシャとかの文献とかから詳しく調べている論文があったので。それを読めば大体理解できます。(まぁ僕は途中断念しましたが。)
ちなみに拍手には邪気を祓う所作の意もあるらしいです。その程度で祓える邪気なら放っておいてもいいんじゃないすかね。
ここまで色々調べ。思ったのが。
起源とかは調べるのに。必要性は調べてないのね。
しかしこの手のものは。万歳のような。必要性とかそういう議論のレベルじゃないって事は何となくわかるんですけど。
何でこんなに拍手に疑問を持つのか。
例えばの話。
A 「誕生日おめでとう〜(。・ω・ノノ゙パチパチ」
B 「ありがとう!メッチャ嬉しい!」
このありがとうは。当然拍手してくれて。って訳ではなく祝ったことに対して。
僕がBの場合。拍手が有ろうが無かろうが。嬉しさに変動はないです。
そもそも勘違いの拍手もあるわけで。
卒業式とか。まだこのクラスで一緒にいたい。とか思う人だっているわけで。そこで卒業式で。門出ですおめでとうの拍手パチパチってちょっと場違いっちゃ場違いな気が。
誕生日だって。歳取りたくない人からしたら何祝ってくれとんじゃワレ。って話なのですし。
昔からだから。世の中の大多数がこれで。最大公約数に合わせます。ってのがあるからきっとこれが当たり前なのでしょう。僕にはそこが違和感を与える要因と感じます。
それに。これが一番の理由なのですが。
過度に疲れる。
拍手はしない人になっているので。もう疲れませんが。卒業式とか。卒業生が出て行くまで拍手したりしてた訳で。こちら側としては皆誰やねん。って感じでしたけど。逆に卒業生として出て行くとき。
「ヤベェ、拍手されてる。マジ嬉しい!」
なんて思わないですし。そもそも後輩いなかったし。そもそも誰も俺なんか見てな...。悲しくなってきたので僕の意見をまとめると。
- 疲れる
- 感謝とか言動で伝えて欲しい
- 後輩が欲しかった
誰だ寂しいとか思ってんの。泣くぞオラ。