部屋の時計が死んだ
5時15分でカカカカと言って進まなくなった。うだる日々に嫌気がさしたのかもしれない。日陰だし加湿器もある。立地としては悪くないと思うのだけど。
気づいたら動いていた。周回遅れは気にしないのでそのまま動いてもらうことにする。涼しいは夜なので気分がいいのだろう。知らないけど。
また死んだ。
5時45分。なにかと丁度で。37分とか29分とか中途半端に止まれない性格なのか。もう正確じゃないから気にするなよ。短針も止まった。風が流れ込んでくる。動かすほどではない。
あっっつ
捨てたというより、無くした、無くしちゃって
ある日街を闊歩していた。別に目的もなくふらふらしていた。ちょっと小腹が空いたので喫茶店へ立ち寄り。アメリカンコーヒーとトーストを店員に頼んだ。のち先程購入した本をカバンから取り出す。いつも思うのだがこのカバンはレザーの質感がたまらなく好きなのだがいかんせん物を取り出しにくい。パソコンもギリギリ入らない。しかしなんだかんだ数年は使い続けている。愛着や他のカバンを新たに探すことへの気怠さ。といった様々な理由があるな。なんて考えていると商品が届いた。まだ1ページ目すら開いていない。やはりこのカバンを変えようか。この後新たなカバンを探しに行こう。とトーストを齧りながら思う。今度は忘れることなく。
ある程度本を読み。なんだか本を読んでる自分がカッコいいとも思えなくなった頃。喫茶店を後にした。現代では珍しいことマッチ箱が置いてあった。手書きでご自由にお取りください。蛍光ペンでの強調が少しミスマッチだなぁと思いつつも珍しさを手に取り。カバンに放りこんだ。
さて。カバン屋さんってこの辺りにあるのかな。まぁでもとりあえず無印良品でいいかな。自分で「良」って名乗るくらいの覚悟が見受けられるし。そもそも無印といったブランドといういかにも人間の持つ矛盾性が表れていてそんな事より春だなぁ道の側にそっとある花壇に。しかも風車があるなぁと感嘆しつつ目的へと歩いていた。
「あっ」
刹那。かるい喪失感に襲われる。とりあえず触ってみる。自分を疑ってみるのも時には大切だ。ない。自分が自分を信じなければ誰が信じるのだ。ないものはない。小5の時母親にそう言われたことが脳裏で春風の如くよぎった。すぐ冷静になる。カバンにしまったかな。あまり人はいないのだが平静を装いつつ少し先のベンチに向かう。座りカバンを太ももに置く。先程感じたズッシリとした重さ。この重さに含まれているとは到底思えないが探してみないことには始まらない。しかし本当に取り出しにくい。
本。マッチ箱。レシート。ティッシュの丸まったゴミ。本。身元不明のゴミ。綿棒(何故)。絆創膏。ゴミ。リップクリーム。電気料金延滞をお知らせする書類。爪楊枝。ガム。洗いざらいの思い出を取り出した。希望とする事実はなく後悔が見つかった。
「童貞喪失したなぁこれ」
これまで一度も童貞は無くしたことがなかった。少し誇りに思っていたくらいである。いろんな物を無くしてきた。不幸中の幸い。リップクリームが見つかり嬉しく思っている自分もいる。
とりあえず家から出る時にはあった。右後ろのジーパンのポケットに童貞をしまって家を出た。これはある種習慣になっている。間違いない。
そして本屋でも持っていた。ほぼ時計代わりに使っていた童貞。あらゆる本を吟味していたらお腹が空いた。時間を確認して本を購入した。
となると可能性が高いのは喫茶店である。あと数メートルで目的地なのだが。ないとやはり困る。そうだ。喫茶店に連絡を取ろう。あればすぐ様取りに戻り。無ければ無いで泣きながらカバンを買おう。童貞童貞っと。馬鹿か。その童貞を無くしたのだ。それに喫茶店の電話番号すら知らない。
いや知っている。再びカバンから物を取り出す。この際イライラはしまい込んだ。これだ。マッチ箱。裏面にはご丁寧に電話番号と住所が記されていた。あとは連絡の取り方だけである。カバンを肩にかけ少し放浪した。運の良いことに緑の公衆童貞が見つかった。今は上がり調子だ。きっと童貞もそこに忘れているだろう。期待しつつ10円玉を童貞に挿入した。番号を入力し待つ。電話越しに誰かが出た。聞いたことのある声だ。恐らく対応してくれた女性である。
「すみません。先程そこに立ち寄った者なのですけど落とし物はありませんでしたか?」
「落とし物ですか?」
「そうです。童貞なんですけど」
「童貞ですか?」
「はい。」
「実は3つ落とし物の童貞がうちにありまして...」
予想外である。3つの童貞が喫茶店にあるとは。しかし同時に確率は跳ね上がった。
「僕のはガラパゴス型のやつなんですけど。紫の。ガラパゴス型童貞です。無くしちゃって。」
「あー!それでしたらありますよ!」
「本当ですか!今すぐ取りに向かいます」
とりあえず不安は解消された。自分の童貞は喫茶店で保護されていたみたいだ。その後無事に取りに戻り女性の店員さんに感謝を述べた。椅子の上にあったらしい。カバンと格闘している際に気づかず置き忘れたのだと推測しながら無印良品へと向かった。ふと見ると知らない少しの傷が入っていた。今日の思い出になるなと思うと同時。童貞に傷がこれ以上付かないようコンドームもカバンと一緒に買おうと計画する。
たいして知り合いは登録されていない。用途はほぼ時計と同じ。重要度ならパソコンの方がうえである。思い入れも全く無いのだが。あの時の喪失感はなんだったのだろう。今でも少し。春風が吹くたびに考えてしまう。今日も道にある花びらの風車は回転しているだろう。
日常
ゴミ(空き缶)。ダンベル。電子辞書。ゴミ(空箱)。ゴミ(ちり紙)。爪切り。ゴミ(牛乳プリンのから)。スプーン。
世の中(自分の部屋)にはゴミが沢山あるなぁと思う。仕方なしのゴミ。出てしまう。のにゴミ。へぇ。と自分を煽る。るっせーな、っわったよぉ、片付けるよぉ、みたいな中二男子(二学期)が出てきて片付け始める。そのパターンが時たま出てくる。
確変に入ると大変で。掃除機を取り出し。ハンディのモップ(病気で青いスーモみたいなやつ)を取り出し。雑巾を水で濡らし。小一時間は簡単に費やしている。
それに抗うか如くゴミは毎日沢山でる。腹立つ。でもゴミだって叫んでるだろう。
ドンタコス「俺がゴミだって言うのかよテメー」
ペットボトル「リサイクルにでも出しなさいよ」
なんかよくわからん小さいプラ袋「そうだー!」
レシート「家に牛乳ないけどココアの粉買うの?」
ちりも積もれば山となり。いろんな叫びが聞こえる。刹那俺は行動をとる。
国王「虫ケラ共が。消え去れ!」
ウィィィィィィィィィィィン
有象無象「ギャァァァァァァァ!」
脳内。平和でした。
難しい話には友達が必要
「死にたい」とは思わない。というよりかそう思わなくなってきた。解決に時間とか経験などの複合的要因があると思うが。
ただ基本思考に「生きたくはない」っていうのがある。これは変わらない。
前に友達に話した。
「じゃあ死にたいの?」
「死んだら?」
仲が良くない人とか。ネット越しだったらただの罵声や誹謗中傷の類だけど。まぁまぁ気を許せる人だったので。なんだかタイムリー。
だが別にそうは思わない。というか「生きたくない」から「死にたい」ってのはよく分からない。
分かってないってのは。何故イコールで繋がるのか。そしてすぐにその質問が出るということ。
そもそも
「生きたくない」=「死にたい」
ってのが理解できなくて。
正確には
「生」=「死」
とは考えられない。
生きるから死ぬわけで。じゃあ逆に死ぬから生きるって事も通用するはずなんです。単純に考えるならば。
でもやっぱり死からではなく。生から人間なり物事なりが始まるわけです(死から学ぶ事もあるだろうけど、それはやっぱり生きてる人のみが学べるわけで)。
要するは。
死は生に内包されるものという考えで。生の持ち物の中に死が。生の取扱説明書に死の項目が。生の副産物に死が。
あるわけなんだと。僕は思うんです。
でも世間一般イコールの繋がりが見えるようで。こんな事言ったってとも思うわけです。
すぐその思考によって質問が出るってのがいい例な訳で。深くまで染み込んでんなーって感じです。
そもそもなんで「生きたくない」のか。
...知らない(ボソッ
自分でもやっぱりよく理解できない。学校にいるとき「帰りてーな」と思う。がなんでか家にいる時も「帰りてーなやっぱ」と思う。どこに。わからん。
数人だが聞いてみたことがある。「こんな感情わかる?」と。考えた事もないってなニュアンスの話ばかりで。的外れな具体例ばかりで辟易した記憶がある。「特別」というよりは酷く劣等感に支配された。考えることを知らないのか。なんてバカな考えをしていた。
過去を想起したって意味がない。ただの懐かしみの練習に過ぎない。そんなのくだらない。昔に浸った時点で老化してるも同義だろう。今しか生きることが出来ないのに。
でもそれでも一応考えてみるなら。今も昔も生きるよすがが無いんだろうとは思う。ぼんやり生きている...のだろう。そう実感ができない点で劣っているかもしれない。
「死にたい」に替わる言葉はなんだろうか。
パッと
「消えたい」
が思いつく。
どこに消えるんだろうか。そもそも「どこに」という考えは組み込まれているのだろうか。よく分からない。今後付き合っていく悩みがこれなんだと思った。きっと辛いだろうなとも思える。こんな事友達と夜に語り合いたい。天秤は一人だと傾く。
とにかくピザが食べたいことは確か。
見えない敵との勝負
申し訳ないけど。テラスハウスも亡くなってしまった方も詳しく知らない。そんな人がブログにしていいんだろうかと思う。誰も見てないだろうけど。
でもこんなセンセーショナルな出来事。別にインフルエンサーでもない弱者の一部ですが。なにか声を上げる。というよりは考えを上げる方がこれからのためになるのでは。と。誰も見てないだろうけど。
可愛い。と思った。ふざけてません。マジで。
女子プロは昔のしか知らないので(北斗晶さんとかが全盛期の頃の)今女子プロの方々アイドルくらい可愛いんだなと。
数試合見させてもらったらエルボー凄い決めていたり。というかプロレスすごい上手いし。見せ方が上手いんだと思います。...すみませんミーハーなんでうまく説明出来ないですけど。
前の流行だと検察のなんちゃらかんたらに反対します。これに芸能人が声を上げそして色々な意見が生まれました。
「芸能人が政治に口出すな」
「歌だけ歌ってればいい」
みたいな感じで。そして今回。
今回の方が多い気がします
それだけ人気がある方だったんだと思いました。プロレスも上手い。顔も可愛い。テラスハウスに出ている。個人からしたら楽しい暮らしだなぁと思ってしまうのですが。
悪口や中傷に傷つく人はSNSは向いてない、そうじゃない。SNSに向いてないの平気で人を傷つける人。ネットにはルールとマナー、そして人権がある。言論の自由は何してもいい訳じゃない、それは言論の無法。最初に言論の責任がある。命を離すまでどれだけ悩み苦しんだか、もう悲しくてやるせない。
スマイリーキクチさん(@smiley_kikuchi)のツイッターの発言を引用させていただきました。勝手に。
言論の自由を盾に悪口を言う。許されてたまるか。
俺は言われるほど有名じゃない一市民ですけど。それがどれだけ嫌かは容易に想像できます。
メンタリティの話もそうだ。
芸能人だから悪口言われる覚悟をどうたらこうたら。なに様ですか。誰ですか。
芸能人が言うのであればまぁわかる。
俺みたいな有象無象が言うことではないでしょ。
想像力が低下している気がする。インターネットに自ら属する人たち。根本的な話。
小学生の頃インターネットの良し悪しについて話し合う時間があった。
デメリットに「相手の顔が見えないから悪口が言いやすい」って誰かが言ってた。誰か忘れたが。
一部の小学生ですら良し悪しを理解している。その点大人はって思う。酷いね全く。
偏見だけど。HIKAKINさんも笑ってそう。あいつは偽善者だとか言って。人の好意をうがってみる。何もかも気に食わないんだろう。妄想だけど。
身銭(1億)切ってどこぞの誰かを助けたいって人類が誇ってもいいレベルだと思う
個人的見解として。余裕がないんだと思う。金銭的にも精神的にも。心に余裕がない人が攻撃をよくするイメージがある。
隣の芝生は青く見えるかもしれないが。自分の事だけ精一杯頑張れば。上手くいくんだろうけど。知ろうともしないだろう。
すごく残念。誰かもわからないけど。これ見よがしに悪口言うことのなにが悪いんだーって無駄に自己肯定感高い人種。きっとどれだけ有名だろうと。何を言ったって理解してもらえないだろう。
一回街中で磔にしてみんなで石でも投げればいいんじゃないですか。苦しさがわかるでしょ。その後引きずり回してみんなでリンチでもしたらいいよ。
これがどれだけ愚かな事か。わかるでしょ流石に。
自分を守る手段を考える時代なのかもしれないです。
以上モブがお送りしました。
慣れないことに挑戦するのは楽しい
リモート
《造》遠隔。
「―スイッチ」
▷ remote (=隔たった。遠い)
よく聞く。本当によく聞くようになった。
なんだか寂しいなと思う。けどこれが一般的になるんだろうな。生まれてきて小学生とかが家で先生の話を聞く。当たり前じゃんなんて言われそうで怖くもある。
なんて思っているだろうと思う(回りくどい)。
初めてのことはやっぱりワクワクする。小学から中学へ進学。漫画を初めて読んだ時。なんでも何度もワクワクした。今回もその類。
しかし違いは技術の進歩を感じるということ。
遠くの人と繋がる。という事が今回ので「なんとなくの理解だった」という風に感じた。
友達がいないからか...泣きそう
またみんなの手探り感がより繋がってくる。あれが出来ない。これが分からん。微笑ましくなる。俺も知らんけど。
でもやっぱり会って話した方がいいなって思う時もある。何事も一長一短なんだなって。変にボケても音声が途切れて変な空気になったり。向いてないのかもな。
これに慣れるのもほどほどに。
さいきん
目眩く。という感じがインターネット。現実ではのどか。笑ってしまうくらい桜が綺麗。
経済。精神。行動。色々なところにダメージが見える。エグい傷跡を残して細菌は姿を消す。でもそのおかげというか。自然にはメリットしかない。皮肉でしかない。とかなんとか色々。
インターネットを見ると焦燥感が凄い。現実はゆっくり過ぎるから。景気とかそういうマクロじゃなく。何をしたらいいんだろう。
とりあえず本を読んで茶を濁したり。筋トレを見様見真似でやってイライラしたり。なんだかんだで楽しい時間を過ごしてると気づいた。何事にも感謝できるってすげぇなと。
つまりは気楽に生きたい。また日記を続けていきたい。
ボイン