ハットの日記

いただきました。

難しい話には友達が必要

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「死にたい」とは思わない。というよりかそう思わなくなってきた。解決に時間とか経験などの複合的要因があると思うが。

 

 

ただ基本思考に「生きたくはない」っていうのがある。これは変わらない。

 

 

前に友達に話した。

「じゃあ死にたいの?」

「死んだら?」

仲が良くない人とか。ネット越しだったらただの罵声や誹謗中傷の類だけど。まぁまぁ気を許せる人だったので。なんだかタイムリー。

 

 

 

だが別にそうは思わない。というか「生きたくない」から「死にたい」ってのはよく分からない。

分かってないってのは。何故イコールで繋がるのか。そしてすぐにその質問が出るということ。

 

 

 

そもそも

「生きたくない」=「死にたい」

ってのが理解できなくて。

 

 

正確には

「生」=「死」

とは考えられない。

 

 

生きるから死ぬわけで。じゃあ逆に死ぬから生きるって事も通用するはずなんです。単純に考えるならば。

でもやっぱり死からではなく。生から人間なり物事なりが始まるわけです(死から学ぶ事もあるだろうけど、それはやっぱり生きてる人のみが学べるわけで)。

 

 

要するは。

死は生に内包されるものという考えで。生の持ち物の中に死が。生の取扱説明書に死の項目が。生の副産物に死が。

あるわけなんだと。僕は思うんです。

 

 

でも世間一般イコールの繋がりが見えるようで。こんな事言ったってとも思うわけです。

すぐその思考によって質問が出るってのがいい例な訳で。深くまで染み込んでんなーって感じです。

 

 

そもそもなんで「生きたくない」のか。

 

 

 

 

 

...知らない(ボソッ

 

 

 

 

自分でもやっぱりよく理解できない。学校にいるとき「帰りてーな」と思う。がなんでか家にいる時も「帰りてーなやっぱ」と思う。どこに。わからん。

 

 

 

数人だが聞いてみたことがある。「こんな感情わかる?」と。考えた事もないってなニュアンスの話ばかりで。的外れな具体例ばかりで辟易した記憶がある。「特別」というよりは酷く劣等感に支配された。考えることを知らないのか。なんてバカな考えをしていた。

 

 

 

過去を想起したって意味がない。ただの懐かしみの練習に過ぎない。そんなのくだらない。昔に浸った時点で老化してるも同義だろう。今しか生きることが出来ないのに。

 

 

 

でもそれでも一応考えてみるなら。今も昔も生きるよすがが無いんだろうとは思う。ぼんやり生きている...のだろう。そう実感ができない点で劣っているかもしれない。

 

 

 

「死にたい」に替わる言葉はなんだろうか。

 

 

 

パッと

「消えたい」

が思いつく。

 

 

 

どこに消えるんだろうか。そもそも「どこに」という考えは組み込まれているのだろうか。よく分からない。今後付き合っていく悩みがこれなんだと思った。きっと辛いだろうなとも思える。こんな事友達と夜に語り合いたい。天秤は一人だと傾く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とにかくピザが食べたいことは確か。