神は生き返った。劣化してな。
神(かみ)は、信仰の対象として尊崇・畏怖されるもの。
(中略)
神に対する人間の態度は、一般に「信仰」や「信心」と呼ばれている。ブリタニカ百科事典によると、神学は信仰を理性的に理解しようとする試みである。そして、近年では合理性をこえた原初の信仰を復興させる動きもあるという。
(中略)
人知を超えた存在であると考えられることや、人間や動物のように社会や自然の内に一個体として存在していることは観察できないことから、神の存在を疑う者も多い。神の不在を信じる者は無神論者と呼ばれ、マルクス主義は無神論の立場に立つ。また、実存主義者の一部も無神論を主張する。
また神が存在するかどうかは知りえないことであると考える者は不可知論者と呼ばれる。
要するにやたらと偉い見えない方。
最近やたらと。
「あの人神かよ」
「ありがてぇ〜、神かお前」
「あの人の説明マジ神だわ」
こう言うニュアンスで使われている神さま。
もしいるとしたら。どう思ってるんすかね。
愚か愚か。なのか。苛立つなのか。軽くみてんじゃねーぞ。だったり。はいはいパニッシュパニッシュ。だとか思ってるのだろうか。
そもそも論は置いといて。昔ですら神は沢山いたわけで。ヘラだのアルテミスだのゼウスだの。日本だって天照大神やダイダラボッチとか。(ダイダラボッチは妖怪かもしれない。と思い調べたら妖怪でしたエヘエヘ。)
今じゃ人間のように増えているわけで。神7とか。(古い。)会話で使われたりとか。神のまにまにとか。神無月とか。
オレかい?
...違います。
(神無月は旧暦の10月です。)
神さま増えすぎでしょ。取って代わる存在がいないのも分かるけど。増えた事を百歩譲ったとて。軽んじていやしないかと。丁重に扱ったら。とは思います。対策案は思いつきませんが。
一時期神の目。なんてものが話題になったりして。占いに利用されてたり。宇宙好きな僕からしたら。アコギな商売しなさんなや。とか思うわけですが。
「神の目」参照にどうぞ。
目っちゃ目です。星っちゃ星です。
はっきり言えば沢山あります。目に見える星なんて。輝線星雲とか。信じる前によく調べて欲しいなぁ。表面だけじゃなくて内側も。
宇宙を神が創った。なんて話は。僕としては信じがたいものなのです。神ではない。ナニカが宇宙また人間などを創った。これなら信じる余地はあります。6%くらい。
神はいないとしたら。神が蔓延するのもなんとなく理解できます。物体はないけど蘇生されて今に生きる。ただ粗雑な存在に成り下がっているけど。
僕はあんまり見たことないものを信用できない性分なのかなと。自分でよく思うことですが。だからよく人の話を忘れます。大概の場合は。
「嘘つけぃ(・ω・)」
と思っているので。